Diversity and Measure.

「多様性とものさし」


多様性
自分や相手を理解するには、育まれた環境や慣習あるいは文化そして性格を知ることが、大切ではないかと考えています。内面に存在する慣習や文化を知ることによって、そのような考えに至ったきっかけを理解するうえで、参考になることがあります。

どのような時には、どのようなことを考えようとするのか。なぜそのように考え、そのように思うのだろうか。なぜそのように思えるのかを、自分の方向からではなく相手の方向から見て考えようとする姿勢は大切です。

それでは、育まれた環境や慣習あるいは文化そして性格が異なった方々と、どのような姿勢で接するべきなのでしょうか。多様性を大切にするうえで、どのようなことに留意すべきなのでしょうか。

今回は、前回の記事で述べた慣習や文化について、多様性の視点で考えてみたいと思います。
きっと同じはず
日本人は比較的に、信じやすいと言われています。きっとそれは島国で育った単一民族であることに、起因すると考えています。

きっとみんなが同じことを考え、理解してもらえるはずである。そんな思いが根底にあり、自分と同じように考えているから、裏切ったりはしないし嘘などはつくはずがない。季節や風土が同じような環境や地域で生まれ成長する過程に、そのような相手を信頼する気持ちが、自然と備わってしまうのではと思います。

理性や良識そして考え方は、基本的にはみんなが同じはずとの思いがあり、きっと話さなくてもわかるはずとの信頼であり思い込みが、思考の前提となっていることが多いと感じています。

このようなことから、だからどうして欲しいかの具体的なアクションよりも、自分の置かれている心境や思いなどの気持ちや姿勢を、伝えることに努力します。それが伝わりさえすれば、同じ思いを感じてくれる人ならば、何をどうしたいかの気持ちはおのずと同じであり、きっとわかってくれるはず。

そのため、自然に同じ考えや気持ちが通じ合う仲間とだけ集まり、自分の居心地が良い居場所を求めあったりします。自分とは意見や考え方が異なっていると、他の意見や主張を聞くことはせずに、行動をともにするのをやめてしまうこともあります。
きっと違うはず
きっと自分とは価値観が違う、そう考えられるならば、きっと相手はわからないはずだし、理解することは難しいはず。そう思えることが、出発点となります。

自分の考えが間違っているかもしれない。そう考えて、自分の考えや主義主張を相手に積極的に伝える努力をします。相違している点があるなら溝を埋める必要があり、相手と議論して解消しなければと思えるようになることが、大切ではないでしょうか。

異なった意見や否定的な考えを伝えると、考え方ではなく人として否定されたと、勘違いしているのではないかと感じることがあります。不協和音は組織やコミュニティの協調性を失う要因となるため、違う意見や異なった考えは極力排除しようとします。そのため、考えが一致するように調整をしたり、同じ方向に向かうよう軌道修正され、同調するような意見や考えに誘導することもあります。

多種多様な考えや文化、価値観や哲学があって良いはずです。人はその人の考えや価値観で生きることが良いのであって、生き方そのものに正解はありません。 自分と同じか違うのかを意識するのではなく、そんな考えもあるしきっとそのような考えがあっても良い。そう思えるようにならなくては、きっと成長することはありません。

いろいろな意見や考えを尊重し多様性を大切にするうえでは、目標や目的などの統一した完了基準の認識を合わせることが大切です。

仮に、自分が正しいと思えるなら、指示を仰ぐことなどはせずに各自の判断で積極的に行動して欲しい。このような行動を要求された場合には、目的が理解されたうえでの行動なのか、完了基準は一致しているかがとても重要になります。それが満たされていなければ、あるいは意識されていなければ、勝手に正しいと思い込んでしまった、利己的で身勝手な行動でしかありません。

そのためにも相手の意見や考えを確認し、自分の考えや意見を積極的に伝えて議論する。お互いの考えや意識にずれがあるならば、それらを埋めあう努力が必要となります。自分と同じか違うのかではなく、どこに「ものさし」(目的や完了基準)を置き、何が正しくて間違っているかを、正しく判断するための姿勢が大切ではと思います。
[筆者:大谷智史](2014年3月3日)

§今回は慣習と文化を多様性の視点をテーマに、多様性を肯定する姿勢と共通の「ものさし」の大切さを考えてみました。(次回は、2014年4月12日掲載予定)