Objective (formal) and Subjective (real).

「客観(形式)と主観(実質)」


思考回路
これまでの記事では、

・情報の信ぴょう性(情報に対する向き合い方と姿勢)
・情報の客観性(客観的な事実の抽出と表現範囲)
・情報の伝達と認知(情報に含まれる意味と伝達手段)

をテーマに、情報の取り扱い方の危うさ、情報の正確性の保障と担保の難しさなどを考えました。

そして、ことば(情報)に含まれる意味には表意と推意の2つがあり、言葉で表せるものと表せないものがある。その情報伝達は、相手への情報との関連性が保障されるから労力を使って解釈しようとする、よって解釈する側の推論能力によってコミュニケーションが成立するから、相手との関係性を明確にすることが大切である。このようなことも考えました。

今回は「客観(形式)と主観(実質)」の違いと、「こと(目的)」と「もの(手段)」を意識する思考回路が、いかに大切であり興味深いことであるかを考えてみたいと思います。
客観(形式)と主観(実質)
何となく理解できた、あるいは感覚的にはわかった。このような人の主観や思いで理解したことは、とても曖昧で正確性の低い、ある意味では正しくないものと分類される傾向にあります。主観的で言語化できない、あるいは言語化しても説明が不可能な知識(主観)である暗黙知は、ある特定の人が特有に理解した体感的なものであり、言語化や具現化が難しく、誰もが理解できるものではないと定義されるからです。

しかし、誰もが同じように理解が得られ、言語化しても説明が可能な客観的で科学的な知識(客観)である形式知こそが、正しい情報という偏見やバイアスがあまりにも強くなると、形式化されデジタル化された情報はより正確性が高く有効性があると錯覚したり、アナログなものはデジタル化し、より客観性を高めた論理や形式知を求めることは、正しい情報や答えを導く正攻法であると考えがちです。

前回の記事では、「嫌よ嫌よも好きのうち」の情報には、表意では嫌と否定しておきながら、推意では好きと反対のことを伝えようとする。客観では嫌いと意思表示しながら、好きという主観を伝えようとする例えであると述べました。

主観である好きという思いがどの程度であるか、その気持ちを伝えるためであり表現する手段に嫌いと意思表示した思いは、誰もが同じように理解が得られるものではありません。しかし、相手との関係性が確立され、その情報や他の情報によって関連性が保障される人ならば、認知効果は強くなり、感覚的で曖昧な感情によって、適切に情報が伝達するということです。

客観(形式)と主観(実質)のどちらが正しいかは重要ではなく、相互補完によって双方が均衡する情報ということです。
こと(目的)ともの(手段)
このケースでは、言語という記号(手段)を利用し、嫌いという言葉づかいや表現(手段)を選択することで、好きという思い(目的)を伝えようとしています。客観の嫌いという言葉づかいや表現の意思表示は「もの(手段)」であり、主観である好きという思いを伝える「こと(目的)」のための、あくまでも手段ということです。別の言葉づかいや表現(手段)を選択したり、全く異なる手段で好きという思い(目的)を伝えることもできますが、あえて主観を直接的に伝えないという手段を選択していると理解すべきです。

ここであなたにとって食事とはどのようなものですかと、ある2人の方に質問します。

ある方は「生きていくためであり、生存のためです」と答え、他の方は「生きている幸せや喜びを感じるためです」と答えたとします。食事が生存のためと考えるならば、食物の摂取量やカロリーなどの栄養素のバランスが重要となり、生きる幸せや喜びを感じるためならば、食物の摂取量だけではなく、おいしさの質や誰とその時間を過ごすかなどが重要となるかもしれませんし、必ずしも食事という手段には限らないとも考えられます。

どのような「こと(目的)」のために、食事という行為を「もの(手段)」として選択しているのか。「こと(目的)」をどのように定義しているか、その人の考え方や定義の相違によって回答が異なります。したがって、その情報のなかに内在している「こと(目的)」を理解することが重要であり、誤って「もの(手段)」を目的と抽出してしまうと、正しい情報や答えを導くことは難しいということです。

いずれにしても、その背景には人の主観、思いや感情があるという考え方はとても重要です。人の主観や思いが先に生まれて、そのためにはどのようにするかの「知る(知識)」が始まるのだと思います。それを知るために材料である情報を集めて、人の思い(暗黙知)と客観(形式知)をスパイラルに変換するプロセスを経て、情報の分類と整理、そして目的を理解して手段を具体化するプロセスに有効な情報(知識)が生み出されます。暗黙知(主観)と形式知(客観)の相互補完であり、それらのバランスが大切なのだと思います。
[筆者:大谷智史](2014年1月13日)

§今回は客観(形式)と主観(実質)をテーマに、その双方の相互関係と「こと(目的)」と「もの(手段)」を意識する思考回路の大切さを考えてみました。(次回は、2014年2月3日掲載予定)