[2013/12/02] 第65回 [連載]情報の伝達と認知
今回は「情報の伝達と認知」をテーマに、情報に対する人の認知と働きについて、考えてみたいと思います
情報は人にどのように伝達し、認知されるのでしょうか。それを考えようとするならば、まず「ことばはなぜ通じるのか」という疑問に、哲学的アプローチで考える必要があります。
人間の認知の傾向とことばの関係を探ろうとするならば、認知語用論の1つである関連性理論を学ぶことで、興味深いことが見えてきます。さらに、言語という記号(手段)が持つ限界や、話し手と聞き手の関係性がいかに重要であるかを理解できます。
私たちは言語という記号(手段)を持ってしまったことで、時として伝わりにくい方法を使用し、より複雑な意味を伝達する手段を選択しているのではないでしょうか。
言語学の研究分野の中には、ことばの表面的(言語内)意味を対象とする意味論と、ことばの裏面的(言語外)意味を研究対象とする語用論の2つが存在しています。
関連性理論とは、会話の推意(裏面的な意味)を研究する学問である語用論の関係性の原理を基礎とした、人間の認知の傾向を表したものです。
ことばが通じるという現象は、ただお互いが同じ言語という記号(手段)を使っているからだけでなく、話し手が関連性(聞き手に関係する関連性のある内容)を保障してくれるので、聞き手は解釈しようとする。人間の認知という脳の働きは、認知効果があるから労力を使って認知しようとするのであり、伝達行為にはその労力に見合った認知効果が保障されているからこそ、その伝達された情報を受信しようとする、だから「通じる」というのがこの関連性理論の考え方です。
聞き手に最適な関連性や興味のある情報が担保されると、認知効果は強くなります。解釈に労力が必要となればなるほど、もっと適切なことばがあってもどうしても思いつかないような場合には、最大な認知効果は得られないことになります。
あくまでもことばの解釈とは聞き手の推論能力に依存するもので、言語という記号(手段)を解読し、話し手の意図を推論することによって、人間のコミュニケーションが成り立っているということです。
ことばには裏表があり、話し手の表意(文の意味)と推意(話し手の意味)が混在しています。
少し古いフレーズとなりますが、「嫌よ嫌よも、好きのうち」はその代表的なもので、表意では嫌と否定しておきながら、推意では好きと反対のことを伝えようとします。関連性理論にもとづくならば、この場合は解釈には労力がとても必要となり、特定の関係性のある相手(聞き手)にしか認知されず、一般的には認知効果は弱いとされます。
よって、会話環境において表意とその推意を解釈するためには、話し手や聞き手といった互いの立場や役割が明確に認知されていることが、とても重要なのではと考えています。ある情報がどのように伝達されて利用されるかの意図が互いに明らかになっているからこそ、その情報を適切に活用したり、解釈することができるのではないでしょうか。
さらに、言語という記号(手段)を使うことで、ニュアンスが伝わらない、何と言ったら良いのだろうなどと困惑することもあります。
古代エジプトのヒエログリフ(聖刻文字)となる象形文字は、絵文字の起源とも考えられています。ソーシャルメディアなどにみられるスタンプなどは、表意と推意を合体したとても適切な伝達手段ではないかと考えています。伝達する情報を単純化しより削いでいくことで、解釈の労力をより少なくする。互いの関係性が明確となっていれば、言語ではなく象形文字のような記号を手段とすることでも、最適な認知効果を得ることができるということではないでしょうか。
どのような手段であるかではなく、知りたいあるいは知ろうとすることが、いかに大切なのではと思います。<s.o>
§今回は情報の伝達と認知効果に着目し、情報に対する人の認知と働きについて考えてみました。次回は「客観(形式)と主観(実質)」をテーマに、知るという行為に対する人の思いの大切さなどについて、考えてみたいと思います。(次回は、2014年1月13日掲載予定)